杭に縛り付けた2人を火炎放射器で灰に…金正恩時代の処刑方法

恐怖政治、再び(4)

北朝鮮の歴史は粛清と処刑の歴史だ。それは金王朝の始祖・金日成主席の時代に始まり、金正日総書記の時代にも、金正恩党委員長の時代にも続いている。

ただ、それぞれの時代ごとに少しずつ違った特徴がある。金日成氏の時代、その主な目的はソ連や中国を後ろ盾とした政敵の除去だった。

しかし金正日氏の時代、彼の政敵となり得る存在はもはや根絶やしにされていた。それでも、金正日氏はもっぱら自らの失政から国民の目を背けるため、軍に命じて公開処刑に拍車をかけた。また時には、自らの乱れた私生活を隠ぺいするため、愛人を口封じで処刑したこともある。

(参考記事:機関銃でズタズタに…金正日氏に「口封じ」で殺された美人女優の悲劇

では、金正恩氏の時代に行われている公開処刑の特徴は何か。目的は、金日成時代と金正日時代の混合型と言えるかもしれない。叔父である張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長を処刑したのは、自らに対抗し得る勢力を未然に除去するためだったはずだ。

(参考記事:「幹部が遊びながら殺した女性を焼いた」北朝鮮権力層の猟奇的な実態

また、スッポン養殖工場の支配人などの官僚たちをやたらと処刑したのは、国家の失敗を現場に押しける行為と言える。