米軍機26機を撃墜した「北の戦闘機乗りたち」

1966年末における北ベトナム空軍は、すでに旧式となっていたミグ15とミグ17を40機から50機程度、当時最新のソ連製戦闘機だったミグ21を15機から20機程度保有していると米国では考えられていた。24名の北朝鮮パイロットは、戦況を変えるほどのものではなくとも、北ベトナム空軍にとっては大きな戦力だったと考えられる。

北ベトナム空軍は1966年から1969年までに、222機の米軍機を撃墜したが、その内の26機は北朝鮮パイロットによるものであった。北朝鮮から送られた将兵の戦死者は14名であり、そのうち最年少は19歳の元浩山(ウォン・ホサン)だ。彼らはベトナムの首都・ハノイの北東約60キロにあるバグザン省タンジン郡タンバン村に葬られ、墓が立てられた。第203軍部隊がいつ北ベトナムから撤収したのかは不明だが、1969年までしか活動の痕跡がないので、その頃からしばらく後と思われる。

脱北した外交官の高英煥(コ・ヨンファン)によると、北朝鮮は空軍の他にも、歩兵や輸送兵、化学技術機材を扱う化学兵などを北ベトナムに送っていたというが、北朝鮮やベトナムの資料からは未確認である。