政治犯収容所などでの拷問・強姦・公開処刑の恐怖
- 当時第22政治犯収容所の看守であったアン・ミョンチョル氏は、「ソ連圏の崩壊」に関連して逮捕された多数の新収容者が流入したと述べている。収容者たちは動物用貨車で収容所に移送された。「6台の貨車が人間であふれていた。この列車は6日連続で収容所にやってきたから、数千人が収容されたことになる。」とアン氏は証言している。
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政治犯収容所に送られる人々は後を絶たなかった。若干の組織変更はあったものの、超法規的秘密政治犯収容所がなくなる様子はなかった。近年、失踪し収容所送りとなる者の多くは脱北者、韓国の当局者や国民と違法に接触した者、またはキリスト教徒であることを表明した者である。
- チョン・カンギル氏も、2000年から2003年にかけて燿徳の第15政治犯収容所の革命化区域に収容された。出自が特権階級であったため中国と貿易する機会があった。会社の利益拡大のため、中国の仲買業者を通さずに韓国のバイヤーとの直接取引を開始した。この禁止された接触が国家保安部に通報され、チョン氏は逮捕された。6ヶ月間、拷問を伴う取調が行われ、韓国のスパイであるとの虚偽の自白をした。第15政治犯収容所での3年間の飢餓と強制労働の後、釈放された。