政治犯収容所などでの拷問・強姦・公開処刑の恐怖
- 飢饉のとき、チョン・ジンハさんは故郷の咸興(咸鏡南道)で数件の公開処刑を見た。
「国に属するとされている財産を盗んだ人、他人の財産を盗もうとしているところを見つかった人は公開処刑された。そのため、私たちは自分の命を自分が支配しているとは考えられなかった。自分の命を終える権利もなかった」。
- 咸興の別の証人は、人々が生きるためのささいな罪、たとえば工場や公共施設から電線を盗んだとかで処刑されたと語った。
- ある男性が、1990年代後半から公開処刑の残忍さが増したと述べた。最初に処刑を見たのは9歳のとき、1980年代の咸鏡南道北倉でのことだった。犠牲者は布で覆われた木の檻に入れられていた。崩れ落じるシルエットだけが見えた。飢饉の時、この方法は廃止された。犠牲者は棒に縛られて撃たれた。そのため犠牲者の体から流れる血を全員が見た。
- ある女性が、故郷の咸鏡北道の村で公開処刑を5回見たと語った。中には、牛を殺して食べた農夫たちの処刑も含まれていた。殺害の前に裁判はなかった。役人が犯罪を告げ、犠牲者が頭を撃じぬかれた。