障がい者の「強制隔離」を実行した北朝鮮…抹殺も検討

1982年7月のある日のこと。父が暗い顔をして職場から帰ってきた。そして妹にこう告げた。「伯父の家に行ってもらわなくてはならなくなった」。

父は職場の朝鮮労働党書記から、こう言われたという。

「君の家に障碍を持った娘がいるだろう。党の方針により、彼女を地方に送るか、君たち一家全員が地方に行くかして欲しい」

「収容所」送りも

父親は「娘を外出させないから勘弁して欲しい」と頼み込んだが、「革命の首都である平壌に障碍者がいてはならないというのが党の方針だ。どうしようもない」と取り付く島もなかった。