構想90年、北朝鮮「史上最大のプロジェクト」で死亡事故続発

この端川発電所だが、中朝国境を流れる三水発電所貯水池や鴨緑江など複数の河川の水を、160キロにも及ぶ地下水路を通して、東海岸まで流し、落差を利用して発電するカスケード発電所だ。途中には8つのダムと発電所が建設され、計画通りなら180万キロワットの電力が生産できるようになる。元々は、朝鮮が日本の植民地支配下にあった時代に、日窒コンツェルン(現チッソ)が計画していたものだ。

創業者の野口遵(のぐち・したがう)は、水量豊かな朝鮮半島北部の鴨緑江をせきとめ、巨大な水力発電所を建設するなど、電力事業に多大な投資を行った。野口はさらに、川をせき止めて巨大な湖を作り、そこ水を東海岸に流して発電し、興南肥料工場など各地の工場に供給するという壮大な計画を立てた。

設計まで終えたが、あまりにも壮大過ぎたため、結局断念した。そして、1945年8月15日の敗戦で日窒は朝鮮半島におけるすべての資産を失い、朝鮮から撤退した。

この計画は金正恩党委員長の祖父・金日成主席によって引き継がれた。