金正恩の「肥満」と「処刑」が同時期に始まった必然

そしてこの粛清の波は、2013年12月の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)元朝鮮労働党行政部長の処刑で嵐となり、北朝鮮国内で吹き荒れた。

(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認

恐怖政治を激化させる中で猜疑心やストレス、プレッシャーに苛まれたことが極度の肥満をもたらした可能性は充分にある。

2013年に起きたことを、もう少し詳しく振り返ってみる。韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』によると、金正恩氏は2018年3月31日に行った演説で核開発と経済発展の並進路線を宣言しつつ「米国との戦争の前われわれの内部で戦争が起きるかもしれない。内部での思想と意志の対決に勝利してこそ核兵器を作ることができる」と言及。

また6月には、「党の唯一思想体系確立の十大原則」を、新たに「党の唯一領導体系確立の十大原則」(以下、十大原則)に改定し、個別の幹部がパワーを強めることを戒める内容を大幅に強化した。