北朝鮮版「ランボー」がたどった数奇な運命

北ベトナムには、当時反目していた中国とソ連の将兵が送られていた。さらに統一後のベトナムは、北朝鮮と対立するようになった。ベトナムの戦場で中国軍やソ連軍、北ベトナム軍と交流し、彼らの政治宣伝に接していた北朝鮮の将兵は、本国で「好ましからぬ存在」と見られたのではないだろうか。

実際、ベトナム戦争での北朝鮮の戦死者を弔ったのは北ベトナムであって、戦死者の遺体とその墓が北朝鮮に移送されたのは、戦争終結から四半世紀以上も経ってからだった。

中東にとどろいた名声

ベトナム戦争に参戦し、批判対象にもなった趙明禄がなぜ出世できたのか。それは、よく分からない。『先軍革命同志、国防委員会第一副委員長であった趙明禄』では、批判された趙明禄を救ったのが金正日であったとされている。

それがどのような過程でのことだったかは分からないが、趙明禄はどうにか粛清を免れ、金正日の信任を得て出世していったということだ。