「理不尽な処罰」の横行が暗示する金正恩の残念な未来
北朝鮮の物価はすべて国が決めることになっている。いわゆる国定価格というものだ。かつて、生活必需品から住宅に至るまで生活に関わるほぼすべてのものを無償、または極めて低価格で国が配給していた時代には意味のある数字だった。
しかし、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」の発生と前後して、配給システムが崩壊してからは、ほとんどのものを市場で実勢価格で購入しなければならなくなった。国定価格は未だに発表され続けてはいるが、ほとんど有名無実と化している。
その中で、数少ない国定価格が適用され続けているのが、公共交通機関の運賃だ。
1962年5月に開通した平壌のトロリーバス。現在は6路線、56.7キロが平壌市旅客運輸連合企業所の無軌道電車(トロリーバス)事業所により運営されている。古い型のトロリーバスに乗って、市内をめぐるツアーも外国人に人気だ。
(参考記事:北朝鮮ツアー、実は近くて普通に行ける北朝鮮旅行)
トロリーバスの料金は、わずか5北朝鮮ウォン(約0.06円)。1円にはるかに及ばない金額だ。コメ1キロが5000北朝鮮ウォン(約65円、平壌の市場での7月の価格)で取引されていることを考えると、ほとんどタダ同然と言える。
ちなみに、「ソビ車」と呼ばれる民間人が営む営業車両の場合は4キロあたり2000北朝鮮ウォン(約26円)、タクシーの初乗り料金は2ドル(約112円)だ。
安いからと言って、必ずしも便利なわけではない。電力難に加え、車体の老朽化が激しく、電力消費量と故障が非常に多く、運転見合わせが相次いでいる。
金正恩党委員長は、李雪主夫人とともにトロリーバスの新型車両に試乗したが、平壌市内を走るトロリーバスがすべて新車に切り替わったわけではない模様で、当局は、メンテナンス費用を支給することなく、責任を事業所の職員に押し付けるばかりだった。
(参考記事:金正恩氏、李雪主夫人と「新型トロリーバス」に試乗)
そんな状況を打開するために、ある現場責任者が改善策を発案して実行したのだが、表彰されるどころか、解任されてしまった。
平壌のデイリーNK内部情報筋によると、無軌道電車事業所牡丹峰(モランボン)区域の職場長は、ラッシュアワーを除き、運賃を5北朝鮮ウォンから20北朝鮮ウォン(約0.24円)に値上げした。
事業長は、当局の自力更生という政策にも符合し、収益を財源にして乗客へのサービス向上も図れるとして、値上げに踏み切った。4倍に値上げしても極めて安価なため、乗客の反応は「20北朝鮮ウォンは、生活が苦しい人でもさほど負担になる金額ではない」「まともに運行されるのなら20北朝鮮ウォン払ってもほとんど不満は出ない」(情報筋)といったものだった。
ところが、当局はこれを問題視し、職場長を解任した上で、事業所の検閲(監査)を行う事態となった。それ以上の処罰がされたのかなど、詳しい状況はわかっていない。どうやらクレームを入れた乗客がいたようだ。
「平壌では地方とは異なり、市民からの信訴(苦情)に当局が敏感に反応する。元帥様(金正恩氏)の身近で仕える平壌市民に不便を強いることは、党と大衆を仲違いさせる深刻な行為だと深刻にとらえるからだ」(情報筋)
当局はクレームを取り上げて、不満の種になりうることを摘み取ったということだ。
(参考記事:金正恩命令をほったらかし「愛の行為」にふけった北朝鮮カップルの運命)
一方、多くの住民からは今回の措置に残念だとの声が上がっている。
「住民の出勤を保証するために料金を値上げしたのであり、私腹を肥やすためにしたわけではない。そのため、住民からは職場長に対する処罰を残念がる声が上がっている」(情報筋)
職場長は解任され、料金の値上げは撤回されたが、事業所の収入が減ったことで、せっかく改善の兆しを見せていたトロリーバスのサービスは、悪化が避けられない見通しだ。
実は、同じようにトロリーバスの運賃を値上げしたところがある。平壌郊外の平城(ピョンソン)では、トロリーバスの運行正常化と共に、料金を実際の物価水準に合わせた1000北朝鮮ウォン(約13円)に200倍値上げしたが、こちらは「高すぎる」として不満の声が上がった。これでも、事業所の儲けは決して多くない。こちらに関しては、電力難が再び悪化したことで、運行が止まってしまったようだ。
(参考記事:北朝鮮のトロリーバス運賃「200倍値上げ」の背景)
極端に安いのは交通費だけではない。月々の一般的な電気料金は33北朝鮮ウォンで、これも1円に満たない。それを何千円もするメーターを買わせて、従量制料金に変更することにした。こちらは負担が大きいとして不満の声が上がっている。
(参考記事:電気料金「2900倍値上げ」に静かに抵抗する北朝鮮庶民)
このような創意工夫が、処罰の対象となることはしばしばある。
昨年、東大院(トンデウォン)区域のある洞事務所(末端の行政機関)が、マンションの下水管の詰まりを解消するために、上下水道事業所の労働者を動員することにしたが、彼らの昼食代を住民から集めたことが問題になり、事務長が問責された事件があった。
せっかく出したアイディアが身を滅ぼすことにつながるのなら、革新も改善も一切期待できないだろう。