直撃肉声レポート…北朝鮮「工作員」関西弁でかく語りき

地元の朝鮮学校から朝大に進学。卒業後は同大学の講師を経て、総連の英字版機関紙で編集長を約2年務めた。同社を退社して家業を継いだのは、02年ごろのことである。その後、06年に神戸大学大学院に入学し、翌年には日本へ帰化した。

総連の機関紙編集長まで務めたほどの人物が帰化するなど、在日社会でも滅多に聞く話ではない。北の特殊機関員と接触し易いよう、海外で自由に動き回れる日本の旅券が欲しかったのだろうか。だとすると、Yは一体いつ、本国からリクルートされたのか。

私は、のっけから遠慮なく質問を浴びせた。

――報道を見て、本当に驚きましたよ。それにしてもいつからなんです?

「そう聞かれたら、10代の頃からと答えるべきやろな」

――それは世界観の形成過程の話でしょう。そういうことを聞きたいんじゃない。本国からの最初の「頼まれごと」は何だったんですか?

「その前に言うておくけど、オレは自分がスパイだなんて認めてへんし、違法な工作活動に手を染めていたわけではないんやで」

軍事情報を収集

Yは2013年4月末に、大阪地裁で懲役4年の実刑判決の言い渡しを受けた。ただし、そこで問われた罪状は「詐欺」だ。