政治犯収容所などでの拷問・強姦・公開処刑の恐怖
- 第15政治犯収容所の革命化区域に収容されていた証人によれば、収容所当局を批判したものは懲罰区域に連行された。その多くは帰ってこず、完全支配区域に終身抑留された可能性がある。帰って来たものも身体および精神は悲惨な状況になっていた。証人は、懲罰区域から戻ったある収容者の健康状態があまりにひどく、労働ノルマを達成できなかったと述べた。看守は激しく殴打し、2日後に死亡した。
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看守は、収容者が人民の敵であり敵対的に接しなければならないと教えられていた。また、収容者に残虐な行為をしても処罰されないのが通常であることも知っていた。
- アン・ミョンチョル氏は「6ヶ月の集中思想教育を受けた。その教育とは…収容者への敵意を引き出し、収容者は敵であることを心に刷り込むものだった。」と述べている。また、自分および他の看守が収容者への同情を感じ・ることも時折あったが、それを表すことはできなかったと語った。このような同情の兆候があれば看守自身が処罰されるからである。
- アン氏が受けたような新人看守の集中思想教育は、収容者への敵意を引き出し、収容者は敵であることを心に刷り込むものだった。この点をあらためて強調するため、彼および他の看守は通常の武道訓練時に収容者を「人間サンドバッグ」として使用させられた。
「指導者は、畑で労働している収容者を集めることもあった。集められ、[武術の]技能の練習台にした。相手として収容者を使う理由は、収容者に警告し、彼らが敵であることを私たちに示すことにあった。練習相手がいなかったから収容者を集めて蹴ったり殴ったりした。収容者が生きようが死のうが気にしなかった。」